最後の授業

saruneko2004-12-13


 元ネタはアルフォンス=ドーテ 『最後の授業』
 元ネタの本を持ちの方は、参照しながらお読みいただけると、
 面白さが倍増しますw



 その日の朝、僕はロッカールームへ行くのがすっかり遅くなってしまった。
トルシエ先生がプレスについて僕たちに質問するといっていたのに、まったく
勉強していなかったので、怒られるのがすごく怖い。ふと、練習をサボって、
トップ下を走り回ろうかなと思った。
 とても暖かい、よく晴れた日だった。
 森の外れでツグミが鳴いている。横浜国際のピッチの上で、ブラジル連中が
ワールドカップを掲げているのが聞こえてくる。どれもこれも、プレスなんか
よりよっぽどいい。でも、僕はじっと我慢して、ロッカールームの方へ跳んで
行った。

 JFAの前に差し掛かると、金網を張った小さな掲示板の傍に、人がたかっ
ていた。
 この4年間というもの、サンドニだとかオスロとか朝日新聞飛ばし記事
か、そういう嫌な知らせはこの場所に張り出されていたから、僕は思った。
『何かがまたあったんだろう』
 ちょうど、国立競技場を走って通り抜けようとした時、金子と一緒に記事を
読んでいた馳さんが、僕に向かって叫んだ。
「おい、坊や。そんなに急がなくたって、試合には十分間に合うぞ」
 僕は馳さんがからかっているのだと思い、ロッカールームになっているト
ルシエ先生の家の大きな庭に、息せき切って飛び込んだ。
 いつもなら、試合の開始前はとても騒がしくて、ロッカーを開けたり閉めた
り、フラットラインを覚えようと、身振り手振りで、大声で繰り返したり、
「もっと激しく!!」と先生が手を使って市川を叩いたりするのが、通りまで
聞こえてくる。
 だから、僕はその騒ぎにまぎれて、誰も気づかずにこっそりと自分の席にも
ぐりこむつもりだったのだ。

 ところが、あいにくその日に限って、日曜日の朝みたいにひっそりとしていた。
開け放たれた窓から、すでにもうスタメンに座っている選手たちの顔が見える。
トルシエ先生はいつもの恐ろしい鉄の定規を抱えて、ウロウロしていた。
 僕はこのしんとした中で、ドアを開けて入っていかなければならない。
どんなに恐ろしかったことだろう!
 だが、その日は違った。トルシエ先生は怒らないで僕のほうを見て、やさしく
言ったのだ。
「俊輔。早く自分の席に着きなさい。君が来なくても始める所だったんだ」
 僕は椅子をまたいで、急いで席に座った。少し気持ちが落ち着いてくると、
トルシエ先生が、高円宮様の来る日とか、公式試合でしか着ない服を着ている
のに気がついた。
立派な灰色のフロックコートを着て、細かいひらひらのついた胸飾りをつけ、
刺繍のある黒い絹の、ちょうど神父さんがかぶるような、丸いふちなし帽子を
かぶっていた。それに、ロッカールーム全体が、いつもと違った厳かな感じだ。
JFAやマスゴミの人たちが、選手と同じように静かに座っていることだった。
釜本おじさん、元の会長さん、今の会長さん、それからいろんな人たち。釜本
おじさんはボロボロになった朝日新聞飛ばし記事をもってきていて、開いては
みんなに見せびらかし、ガッツポーズを繰り返している。
 僕が何もかもに驚いている間に、トルシエ先生は教壇に上がり、僕を迎えた時と
同じやさしい荘厳な声でこう言った。

「みなさん、私が授業をするのは今日が最後です。リオデジャネイロから命令が
来て、JFAの代表チームではブラジル以外のサッカーを教えてはいけないことに
なりました……。明日、新しい先生がいらっしゃいます。今日は、皆さんにとって、
最後のフランスサッカーの授業です。どうか一生懸命に聞いてください」

 先生の言葉に僕はあわてた。ああ、汚いブラジル人め!!やつらはJFAの掲示
にこのことを張り出したんだ。
 僕の最後のフランスサッカーの授業なんて!!
 それなのに僕と来たら、まだフランスサッカーがろくに出来ないじゃないか。この
ままじゃ、二度とプレスを習うこともないだろう!このままで終わらなければ
いけないなんて……。今になるとプレスをサボって中盤で浮遊したり、サンドニ
芝すべりをしたりして、無駄にしてしまった時間が惜しくてならない。ついいましがた
あんなにつまらなく、あんなにつらくていやだったゾーンプレスもフラットスリーも、
500ページのテキストも、今は別れるのがとてもつらい、古くからの友達みたいに
思えてきた。

 トルシエ先生も同じだ。先生が行ってしまう。そして二度と会うことはないのだと
思うと、怒鳴りつけられたことも、サイドに追いやられたことも忘れてしまった。

 かわいそうな先生!

 先生が一張羅を着たのは、最後の授業に敬意を示すためだったのか。僕はどうして、
JFAの老害たちがロッカールームの後ろに座っているのかが、初めて分かった。
いままであまりスタジアムに来なかったことを本当に良かったと思っているように見える。
それから4年間にわたる先生の働きになど、これっぽっちも感謝の意を示さず、やが
てなくなってしまう現代サッカーに侮蔑を表すためでもあったのだ。

 ここまで思った時、突然、僕の名前が呼ばれた。場所はピッチに移っていた。
僕がプレスをする番なのだ。この難しいプレスの規則を大きな動きで、はっきりと
ひとつも間違えずにできるためなら、僕はどんなことでもしただろう。だが、最初から
とちってしまい、たったまま中盤を浮遊するだけだった。胸が苦しくなり、
顔を上げることもできない。
 トルシエ先生の声が聞こえてきた。
「俊輔、私は君を叱ったりしない。これで君は十分に罰を受けたからだ。私たちは日々、
こういう風に思う。『大丈夫。時間はたくさんある。明日プレスをしよう』とね。その
挙句がご覧の通りだ。プレスをいつも翌日回しにしてしまうのが、ニッポンにとって大変
不幸なことだった。いまあのブラジル人たちにこういわれたって仕方ない。
『なんだって!お前たちは現代サッカーをしていると言い張っていたけれど、プレスの
ひとつも出来ないじゃないか』とね。だからね、俊輔、君だけが悪いのではない。みんなが
責められるべきなんだよ。
 JFAの連中は君たちにあまりプレスを教えさせたがらなかった。簡単に勝利するために、
どん引きとセットプレーだけで試合をしたかったんだよ。先生だって非難されるところが
なかったとは言えない。君たちに紅白戦をする代わりに、よく人形相手に試合をさせなかったか?
先生がマスゴミを釣りにいきたくなれば、簡単に試合をお休みにはしなかっただろうか?」
 
 それからトルシエ先生は、次から次にフランスサッカーについて語り始めた。

 フランスサッカーは世界中で一番美しい、一番はっきりした、一番しっかりした
サッカーであること。だから、君たちでしっかりと守り続け、決して忘れてはならないと。
なぜなら、民衆が奴隷になった時、サッカーさえしっかり守っていれば、自分たちの牢獄の
鍵を握っているようなものなのだから……と。
それから、先生はプレスの本を取り上げ、読み始めた。僕はあまりに良く分かるので
びっくりした。先生の言ったことはどれもみんな、とても簡単なことのように思える。僕は
こんなに一生懸命に先生の話を聞いたことはなかったし、先生もこんなに粘り強く説明した
ことは今までなかったと思う。気の毒な先生は行ってしまう前に、知っていることをみんな
僕に教え、一度に僕たちの頭に叩き込んでしまおうとしているみたいだった。

 プレスが終わると今度はディレイの時間だ。この日のために、トルシエ先生は、みんなに
新しいテキストを用意してきた。それにはきれいな字でこう書かれていた。

 フラットスリー ウェーブ ダイレクトタッチ ディレイ

 小さなフランス国旗がスタジアムのポールに掲げられていて、スタジアム中にはためいていた。
みんなは、本当に一生懸命練習した。もの音一つしない!聞こえてくるのは、
芝の上できしむシューズの音だけだった。一度、新聞記者が何人か飛び込んできた。
でも誰も見向きもしなかった。サントスでさえ、丹念に心をこめてディレイの動きをしていた。
まるで、それもフランスサッカーであるかのように。
ピッチにマリノス(現:柏レイソル)の右サイドバックがやってきて、
低い声でクウクウと泣いていた。
それを聞きながら、
 『彼らも、ポルトガル語で泣かなきゃならなくなるんだろうか』
と思った。

 時々、ピッチから目を上げるとトルシエ先生はピッチの上で、全く動かずに辺りの
ものを見つめていた。まるでスタジアムになっている大きな自分の家をそっくり、目の中に
焼き付けようとしているかのようだった。それもそうだ。この4年間というもの、
先生は同じ場所で庭を前にし、変わる事のない教室にいたのだ。ただ、ボールとピッチは
使い古されて、黒光りしていた。
ワールドユース組は大きくなり、先生が発掘した中田浩二は左サイドで、定位置を確保
している。さまざまなものと別れるのは先生にとってどんなにか心が痛むだろう。
ロッカールームを行ったり来たりしている先生の奥さんの足音を聞くのはどんなに
つらいことだろう。先生たちは、明日出発して、この土地から永久に行ってしまわなければ
ならないのだ。

 それでも、先生は最後まで立派に授業を続けた。ディレイの次はウェーブの時間だった。
それから、DFの選手たちが声をそろえてフラットスリーの練習をした。教室の片隅で、
釜本おじさんは鎌をかけ、両手で朝日新聞を持って、一部の選手たちと一緒にたどたど
しく読んでいる。釜本も必死だ。必死のあまり、声が震えている。聞いていると、なんだか
こっけいで、僕たちはみんな笑いたくなったり、泣きたくなったりした。
ああ、僕はこの、最後の授業のことを決して忘れられないだろう……。

 その時、主審の笛がタイムアップを知らせた。そして、スタジアムに失望の声が漏れる。
同時に、茨城からやってきたブラジルの神とやらが、スタジアムの外までやってきた。
トルシエ先生は真っ赤になった。僕たちはロッカールームに引き返した。

 今まで、こんなに先生が大きく見えたことはない。
「みなさん」
 先生は言った。
「みなさん、私は・・・私は……」
 しかし、何かが先生の喉を詰まらせ、先生はそこまでしか言えなかった。
 先生はホワイトボードの方を向くと、マジックを一本手に取り、全身の力をこめて、
出来るだけ大きな文字で、


    フランス万歳!!


と書いた。
 そして、そのまま、壁に顔を押し付けた。それから無言で僕たちに手で合図をした。

「これで日本サッカーはおしまいです。おかえりなさい」