絶望を感じない自分に絶望した

 (こちらの文章は別のところに掲載したものに加筆・修正したもの)

 パススピードの遅さ。深すぎるディフェンスライン。広大なサバンナのようにぽっかりと開いているボランチとDFラインの間のバイタルエリア

 あまりにもいつもと同じ光景に苦笑いしてしまう。1点入ったのは僥倖だった。GKの判断もまずかったが、明らかなファールを見逃してくれた主審。

「ここまでついているとは・・・」

 あのグダグダサッカー(対義語「ワーワーサッカー」)で1点取った時、僕はそう思いました。オーストラリアは弱いと感じていた。それでも決定的場面を作られてしまう。能活が神でなければ、すぐに同点にされれてもおかしくなかった。でも、前半を1−0で終えることができた。こんな僥倖はない。勝つチャンスだ。だが、そこから監督の差が表れてしまった。

 あまり記憶にない1トップ。僕の記憶が正しければ、試合では一度しか試していない小野と福西のボランチ。スタメンとベンチの選手に戦術(それがあればだが)理解に差がありすぎるのに、今まで全くやったことがないことをやってしまった。そりゃ、負けるよ。

 2点目を取られた時、僕は座り込んでしまった。3点目は覚えていない。その場では絶望のようなものを感じた。しかしながら、バーを出て、今日までの4年間を振り返ってみると、急に冷静になった。僕は絶望など感じなかった。まだ、クロアチア戦があるから?そうではない。残念ながら、予想の範囲内だった。これまでの問題が全て露になったに過ぎない。

 3点を取られた6分間が問題ではない。4年間が問題だったのだ。