ある日の朝2(昨日の続き)


 続いて担任の口から次々と(おそらく、あのクラスの中では私だけにとっての)新しい

情報が入ってきた。

 倒れた家々、崩壊した高速道路、あちこちで立ち上がる煙。

 
 即座に私の頭によぎったのは兵庫にいる叔母である。

ろくでもない親戚のなかで、唯一まともな人格と家族を持つ叔母であった。


 その日の授業をどんな風に受けたのかは覚えていない。

ま、授業を聞いていないのはいつものことなので、それはいいのだが。


 家に帰ると母親が泣きながら電話をしていたが、通じるはずもない。


 結局、その日は連絡が取れずじまいであった。


 次の日、向こうから電話がかかってきて家族全員無事であるということであった。

しかし、家の中は無茶苦茶で、電気、ガスも止まっているし、店も当然閉まっているので、

困窮しているが、しばらくは食料は何とかなりそうということだった。


 そこで我が家は地震発生から4日目、21日土曜日にあちらに向かうことになった。

(明日へ続く)