なぜジーコだったのか
さ 「では、ここで次の議題に行きたいと思います。ジーコという監督について、なぜ2002年後にジーコだったのかということについて、難しいとは思いますが、協会の気持ちになっていただいて、考えてみたいと思うんですが」
ブ 「川淵がトルシエが嫌いだったってことでしょ。反動だよね」
西 「メーターの針が左に行き過ぎたんで・・・あ、左右の思想の話じゃないですよ(笑)、それを反対側に戻しすぎて、メーター振り切っちゃって、本当は中央に行かなきゃいけない針が、行き過ぎちゃったのかなと」
ブ 「よく、『組織と個』みたいな対立軸で語られるじゃないですか。それがそもそもおかしいですよね。『組織だけ』とか『個だけ』みたいなのあるわけないのに」
さ 「ブラジルですら組織的にやってるのに、日本のアレは何なんだ」
で 「代表チームって集まれる時間が少ないから、ある程度ベースを決めてそこに選手を当てはめていかなきゃ、試合にならないと思うんですよ。そこで、『個の力があーだこーだ』言ってもね」
い 「オールスターじゃないんだから(笑)」
西 「むしろオールスターのほうが強いんじゃないかと」
ブ 「ジーコってコーチとしての経験がないじゃない」
さ 「監督みたいなことをしたのは’98年のフランスと何年か前の鹿島だけでしょ?」
西 「鹿島サポの友達曰く、結局総監督だし、実質はやってないし、関塚さんがいたから」
ブ 「じゃあ、何の実績で選んだのかな」
さ 「やっぱり、川淵さんの思惑でしょ」
い 「『オートマティズムからの解放だ!!じゃあ、適任なジーコがいるじゃないか』とかキャプテンが言った気がする」
さ 「だって、ブラジル戦終わってすぐのコメントでも『個の力が足りなかった』なんてことを言ってるわけでしょ」
で 「誰が?」
さ 「川淵が。彼は『個が弱い』言ったわけですよ。あほかと。組織サッカーが出来ていてそれを言うなら話は分かるけど」
ブ 「『個』の話をすれば、ブラジルの選手に追いつくの100年掛かるよ。無理だよ」
さ 「どんなに今から頑張っても、何十年か、百何年か後に、追いつくことしか出来ないですからね。抜くのは無理」
で 「今から3歳とか4歳の環境を変えないと追いつくことすら出来ないですよね」
さ 「元代表の呂比須がテレビで言ってたけど、『どこか遊びに行く時に自転車で100キロくらいの道のりを走ったもんだ』って。そんな生活している子供と争って勝てるわけがない」
ブ 「日本の子供がテレビゲームやってるときに、あっちはボールを蹴ってるんだもんなあ」
さ 「日本代表選手ですら、ウイイレとかやってるじゃないですか(笑)」
ブ 「最初のジャマイカ戦で黄金の中盤を並べてた時にすでに、悪夢の始まりだったね」
で 「そうそう(笑)」
さ 「あの試合はどうでした?僕は正直、あの試合見て『ダメだ』と思ったんですけど」
ブ 「俺も」
で 「覚えてないな」
い 「『まあ、4年間あるし』くらいにしか思ってなかったかな」
ブ 「連動性がなかったから」
さ 「連動性は最初だから仕方ないと思ったけど、プレスの掛け方がなってなかった。あの4人を並べるってことは守備が相当きついぞと思った」
で 「稲本もそんなに守備をする選手ではないですからね」
ブ 「ディフェンスのやり方もおかしいよね。今回のW杯を見ているとどのチームもコンパクトにしてるんですよ。ラインを押し上げて、プレスを掛けて・・・それでも点を取られちゃうんだけど。ジーコの場合、中盤をあけて、一人余らせるでしょ」
で 「深めにラインを敷いて、福西をその前に置いといて・・・」
ブ 「その福西だけで一生懸命止めてたわけですよ」
さ 「動かないでね(笑)」
ブ 「で、中田は前に行っちゃう」
で 「福西が防波堤になっているという」
さ 「磐田も変わらないか(笑)」
西 「福西は代表と磐田では『動かない』の意味が違う(笑)」