ディスカッション3

saruneko2006-06-28


 その1  その2



なぜジーコだったのか


さ 「では、ここで次の議題に行きたいと思います。ジーコという監督について、なぜ2002年後にジーコだったのかということについて、難しいとは思いますが、協会の気持ちになっていただいて、考えてみたいと思うんですが」

ブ 「川淵がトルシエが嫌いだったってことでしょ。反動だよね」

西 「メーターの針が左に行き過ぎたんで・・・あ、左右の思想の話じゃないですよ(笑)、それを反対側に戻しすぎて、メーター振り切っちゃって、本当は中央に行かなきゃいけない針が、行き過ぎちゃったのかなと」

ブ 「よく、『組織と個』みたいな対立軸で語られるじゃないですか。それがそもそもおかしいですよね。『組織だけ』とか『個だけ』みたいなのあるわけないのに

さ 「ブラジルですら組織的にやってるのに、日本のアレは何なんだ」

で 「代表チームって集まれる時間が少ないから、ある程度ベースを決めてそこに選手を当てはめていかなきゃ、試合にならないと思うんですよ。そこで、『個の力があーだこーだ』言ってもね」

い 「オールスターじゃないんだから(笑)」

西 「むしろオールスターのほうが強いんじゃないかと

ブ 「ジーコってコーチとしての経験がないじゃない」

さ 「監督みたいなことをしたのは’98年のフランスと何年か前の鹿島だけでしょ?」

西 「鹿島サポの友達曰く、結局総監督だし、実質はやってないし、関塚さんがいたから」

ブ 「じゃあ、何の実績で選んだのかな」

さ 「やっぱり、川淵さんの思惑でしょ」

い 「『オートマティズムからの解放だ!!じゃあ、適任なジーコがいるじゃないか』とかキャプテンが言った気がする」

さ 「だって、ブラジル戦終わってすぐのコメントでも『個の力が足りなかった』なんてことを言ってるわけでしょ」

で 「誰が?」

さ 「川淵が。彼は『個が弱い』言ったわけですよ。あほかと。組織サッカーが出来ていてそれを言うなら話は分かるけど」

ブ 「『個』の話をすれば、ブラジルの選手に追いつくの100年掛かるよ。無理だよ」

さ 「どんなに今から頑張っても、何十年か、百何年か後に、追いつくことしか出来ないですからね。抜くのは無理」

で 「今から3歳とか4歳の環境を変えないと追いつくことすら出来ないですよね」

さ 「元代表呂比須がテレビで言ってたけど、『どこか遊びに行く時に自転車で100キロくらいの道のりを走ったもんだ』って。そんな生活している子供と争って勝てるわけがない」

ブ 「日本の子供がテレビゲームやってるときに、あっちはボールを蹴ってるんだもんなあ」

さ 「日本代表選手ですら、ウイイレとかやってるじゃないですか(笑)」


黄金の中盤


ブ 「最初のジャマイカ戦で黄金の中盤を並べてた時にすでに、悪夢の始まりだったね

で 「そうそう(笑)」

さ 「あの試合はどうでした?僕は正直、あの試合見て『ダメだ』と思ったんですけど」

ブ 「俺も」

で 「覚えてないな」

い 「『まあ、4年間あるし』くらいにしか思ってなかったかな」

ブ 「連動性がなかったから」

さ 「連動性は最初だから仕方ないと思ったけど、プレスの掛け方がなってなかった。あの4人を並べるってことは守備が相当きついぞと思った」

で 「稲本もそんなに守備をする選手ではないですからね」

ブ 「ディフェンスのやり方もおかしいよね。今回のW杯を見ているとどのチームもコンパクトにしてるんですよ。ラインを押し上げて、プレスを掛けて・・・それでも点を取られちゃうんだけど。ジーコの場合、中盤をあけて、一人余らせるでしょ」

で 「深めにラインを敷いて、福西をその前に置いといて・・・」

ブ 「その福西だけで一生懸命止めてたわけですよ」

さ 「動かないでね(笑)」

ブ 「で、中田は前に行っちゃう」

で 「福西が防波堤になっているという」

さ 「磐田も変わらないか(笑)」

西 「福西は代表と磐田では『動かない』の意味が違う(笑)

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