歓喜記

歓喜の磐田は博学才穎、平成の御代、数多く名を代表に連ね、ついで優勝者に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、外部に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、山本、アジウソンに帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら内部人事に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、アトレティコとしての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、成績は容易に揚がらず、順位は日をおうて苦しくなる。磐田はようやく焦躁に駆られてきた。このころからその成績も峭刻となり、二部転落直前、眼光のみいたずらに炯々として、かつてに優勝杯を掲げたころの豊頬のサッカーのおもかげは、どこに求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、J1残留のためについに節を屈して、再び東へ赴き、関塚隆に職を預けることになった。一方、これは、己のOBに半ば絶望したためでもある。かつての同輩は既にはるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才磐田の自尊心をいかに傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑え難くなった。

半年の後、アウェイで旅に出、16位のほとりに宿った時、ついに降格した。ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何かわけの分からぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、J2の中へ駆け出した。彼は二度と戻ってこなかった。付近のJ3を捜索しても、なんの手がかりもない。その後磐田がどうなったかを知る者は、だれもなかった。

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